『貧しからず富に溺れず』の第18章は
「サラリーマンの終着駅は淋しすぎる」です。

会社勤めをしている人なら、
読み飛ばしたくなるような言葉ですが、
この章で、邱先生は大変重要なことを述べています。

「漸く仕事に力の入る30代から40代のはじめ頃は、

人間、3年先5年先くらいのところしか見えないし、
自分のすぐ上か、同じ並びか、後から追ってくる者の
行列しか目につかないが、50の声をきくようになると、
同じ会社の中で自分がどんな位置におかれているか、
またどういう可能性が残っているかおおよその見当はついてしまう。

すると、俄かに将来のことが心配になり、
55歳になるとノイローゼ気味になる。
サラリーマンが将来について心配しなければならないとすれば、
それは多分、定年後の生活設計に尽きる。

定年後の生活設計がちゃんとできてさえおれば、
つまり死ぬまで、あまり収入も減らず、健康で、
サラリーマンの延長で仕事ができていく見込みさえたてば、
本当は一生、お金に縁などさしてなくても別にかまわないのである。

ところが、実際問題として、定年になると、
一応、まとまった退職金をもらえる代わりに、
それがていのいい手切れ金みたいになって、
もう会社には行けなくなる。

何事も『終わりよければすべてよし」というが、
サラリーマン生活は、あとの準備ができていなかったら、
『後味の悪い』商売の一つである、特に一番最後が一番悪い。

無我夢中で一生懸命働いてきた、
一生を会社のために捧げてきた、

そういう気持ちがあればあるほど、
『何かを間違ったのではないか』と

思いたくなるような終着駅がそこに待っているのである。

いっそ定年を40歳にして、
40歳からは第二の人生にして

今度は定年のない職業を選んだ方がよいと私が主張したのも、
定年の持っているこうした残酷な面を
回避できたらと思ったからである。


私のところに相談にくる人を見ていると、
お金の準備はまあまあだが、

あとは仕事の見込みの立っていない人が意外に多い。

(出典 『貧しからず 富に溺れず」p157~158)