邱が書いた『途中下車でも生きられる』は、
その前に書かれた『野心家の時間割』などに比べると
売れ行きはイマイチでした。

といっても「5万部や6万部は売れた」のですが、
他の書に比べると、読まれる部数が少なかったのです。
その原因を邱は次のように探求しています。

「日本の主流はあくまで体制社会である。
大半の人々は社会の決めたコンベアーに乗せられて
大学を卒業し、一流会社をめざして就職をする。
いったん就職をすると、よほどの大過がない限り、
生涯を一つの会社で過ごし、定年になってから
はじめて余生を送るための身の振り方を考える。

そうした体制社会で、
本気になって転職を考えたりするのは
残念ながらほんの一握りの人々にすぎないのである。
そうした体制社会にあって
独立を考えたりするのはもともと異分子である。
異分子というほどでなくても、
転職や独立を考えていることを職場に行って、
口に出して言うことは禁物である。
現にリクルートには『就職情報』という雑誌があった。
しばらく前に『B-ing』と改題したが、
どうしてかと聞いたら、『就職情報』と書いた雑誌を
職場に持っていけないからだという返事がかえってきた。

そういえば、少々抽象化されているが
『途中下車でも生きられる』も似たり寄ったりで、
小冊子だから鞄の中に入れて歩くことはできるが、
カバーでもしなければ
会社へもって行って読むわけにいかない。
定年まで一つの会社につとめることが
常識になっている会社では、
会社を辞めるのはいよいよのことであり、
あったとしてもあくまで少数意見なのである。

しかし少数意見であろうと個人的見解であろうと、
馴染めないものは遂に馴染めないのだから、
自分の気のすむように生きるよりほかない。
何事も自分勝手にやろうと思えば、
それだけの代償が必要である。
それを覚悟の上で、『途中下車、前途無効』であっても、
あえて途中下車を強行せざるをえない場合が起こる」
(出典 邱永漢著『四十歳からでは遅すぎる』)