邱は平成元年に「死ぬまで現役」を発表しました。
この作品の中で邱はその二十年ほど前に書いた
「年をとらない法」についてふれ、「年をとらない法」は
「精神的な青春保持術」であったと書いています。

「二十年ばかり前、ヨーロッパを旅行した折(昭和39年)に、
どっちを向いても年寄りばかりだなあと
強烈な印象を受けたことがあった。
今に日本も必ずこういう社会になるだろうと思ったので、
比較的早い時期に新聞で『年をとらない法』という連載を書いた。

まだ日本の国で、老齢化社会という時代であったから、
『あの人、何を考えているんだろうか』
と不思議に思われたに違いない。
しかし、お金は儲からなくとも、また人間、利口になれなくても、
年だけは確実にとるものである。
みるみる老齢化はすすみ、日本で、寝たきり老人とか、
前途を悲観した老人の自殺が目立つようになってきた。

私の書いた『年をとらない法』も
『人生後半のための経済設計』と改題され、
くりかえし重版されてきたが、
他に同じテーマを扱った本が
いくらでも出版されるようになったので、
もう今日ではさして珍しい本ではなくなってしまった。
『年をとらない法』などといっても、
年は必ずとるものだから、
それ自身が矛盾したタイトルといってよいだろう。
にもかかわらず、さしたる抵抗なしに受け入れられたのは、
『なるべく』という先行詞が省略されているだけであることを、
誰でも知っているからであろう。

ちょうど長生きとおなじようなもので、
いくら長生きするといっても、
今の常識では150年も200年も長生きするわけではない。
それでも昔と比べれば、相対的に長生きになったことは
たしかだから、せめて生きている間、
『なるべく』年をとらないですむ方法はないだろうか、
と考えたくなる。
たとえば、健康に気をつけたり、美容に工夫をこらせば、
他人に比べて皺が少なくてすんだり、
肌にシミができないですむようなことは起こる。
美容が外観を若々しく見せるものだとすれば、
『年をとらない法』はさしあたり、
『精神的な青春保持術』とでもいったら、よいだろうか。」
(「死ぬまで現役」平成元年)

このように邱は「年をとらない法」は
「精神的な青春保持術」であったと書いていますが、
私は「年をとらない法」に盛り込まれている
「精神的な青春保持術」は、20年近い時を経て、
発表された「死ぬまで現役」の中に
脈々と受け継がれているとみています。