昭和56年、『中央公論』誌に連載していた
「お金の使い方」と
昭和50年から美術雑誌『求美』に連載していた
「死ぬほど退屈」を
収録した『お金の使い方』を
中央公論社から刊行しました。

この本の「あとがき」で、
邱は次の文章を書きました。

「世の中が貧しい間は、
皆が少しでも豊かになろうと思って盛んにあがく。
他人を押しのけて、自分だけでも金持ちになりたいと思ったりする。
しかし、社会全体が豊かになってくると、
お金を持った人と大してお金を持っていない人の差は
あまりないことに気づく。
とりわけお金持ちになっても、
貧乏時代と大して変わりのない生活をしている人は、
そもそもお金持ちとはいえないのである。

日本人はお金持ちになったといっても、
大金持ちになったのは『会社』だけで、
『個人』は平均的な小金持ちになったにすぎないから、
もとよりイギリスの貴族やインドの富豪のような
豪勢な生活ができるわけではない。
しかし、小金持ちにはそれにふさわしい生き方がある筈だし、
小金持ちとしての心構えも社会的義務もある筈である。
こうした新しい時代に処する生き方を感じ、
「お金の使い方」を『中央公論』本誌に連載させてもらった。
お金儲けのハウツウ物なら、恐らく『中央公論』誌も
食指を動かさなかっただろうが、「お金の使い方」なら、
期せずして文明批評になることははじめからわかっている。

書き進むに従って、
『お金というものは案外、役に立たないものだな。
お金儲けにあくせくすることはないなあ』
という感をますます深くしたが、
もとよりそれは、お金に不自由しないボーダーラインから
少し首を出した上でのことであろう。
しかし、お金持ちになれない人も、
お金持ちになろうと思っていた人も、
これを読めば『お金持ちになっても大したことはないなあ』
と心がやすまるのではないだろうか。
嫉妬深い、卑しい人間の品性に
いくらかでも安らぎを与えることができたら、
私の試みは成功だったということになる。

『死ぬほど退屈』は私が創刊した『求美』という季刊美術誌に
昭和50年夏から5年間にわたって連載したものである。
『求美』は高度成長の頂上期に、美術ブームを予想し、
それを推進する役割をはたしてきたが、
低成長時代に入るとさすがに命脈尽きて廃刊してしまった。
もともと経済的に余裕のある階層を対象として
成り立った雑誌だったから、
私のエッセイもお金と時間をゼイタクに使う無駄話に終始した。
あとで考えてみると、
これ『お金の使い方』の各論みたいなものになっている。」
(『お金の使い方』)