昭和60年に発刊された『金銭通は人間通』に収録された
「台湾は昔の台湾ならず」のなかで、
邱さんは日本人男性と台湾の女性とのそれぞれのカルチャーと
カルチャーのぶつかり合いを描いたと書いています。

「台湾は長い間、週刊誌で
“男の天国”として喧伝されてきたので、
日本人の中には今でも台湾を
風紀のよくないところだと思い込んでいる人がある。
田舎から集められてきた小姐たちが、工場で働くよりも
北投温泉で働いた時代があったことは事実である。
また東雲閣、五月花、黒美人といった
酒家に集められたホステスほど、
若くて美人の揃ったところは
他国にその例を見ないのも本当である。
但し、これらの地帯は万里の長城のそとみたいなところで、
長城のそとは無法地帯だが、一歩長城の中に入ると、
ガードは意外に堅く、
男女の貞操観念は日本人よりずっと保守的である
と考えて間違いない。

12年前(昭和48年)に私に連れられて
父親の故地に現われたうちの娘は、
ジーパンを穿いていただけで『何というハシタないカッコをして』
と親戚の者からたしなめられた。
10年もたつとさすがに若い男も女もジーパンが
普段着になってしまっているが、
性の扉は昔に比べて大差がないほど硬いと考えてよいだろう。

また北投温泉で『夜の女』をつとめた女たちも、
日本の赤線地帯で稼いだ女の人たちのような
ネクラで隠微な傷跡は見られない。
案外とあっけらかんとしていて、
しっかり溜め込んだかもしれないが、
経済が発展し、人々のふところが豊かになるにつれて
台湾の人々の生活も日本人とほとんど変わらなくなってしまった。
50歳から上の人は日本語を喋るし、
若い人たちの間でも日本語熱は盛んである。
道をたずねても、親切に日本語で答えてくれる。
そこでつい錯覚を起こして、
台湾の人たちも自分たちと同じ思想の持主であると
早合点しまいがちだが、どっこい、言葉は通じても、
台湾の人たちと日本人は
決して同じ生活論理を持って生きているわけではない。

日本の中年男たちが台湾へ行って女をつくり
女の名前でマンションを買ったり、
家を買ったりする男たちはそれを預けていると思っているが、
女たちは取引の代償としてもらったものと思っている。
『恋の決算は難物だ、ととんだ桁違いを真顔で言い張る』と
詩の文句にも出てくるが、いざ別れ話になると、
忽ち話が平行線を辿って改めてカルチャーの違いに気がつき、
カルチャー・ショックにおののく。
その有様を小説という形で書いたのが、
私の『たいわん物語』であるが、
ある時、台湾へ遊びに来た友人に一冊献呈した。
その若い友人は台湾に親しくしているガール・フレンドがいて、
来ている間楽しそうにホテル住まいをやっていたが、
しばらくして再会したら、
『あの本を読んでシラケてしまいましたよ』と文句を言われた。」
(「台湾は昔の台湾ならず」。『金銭通は人間通』に収録)