昭和56年7月、邱は短篇小説『たいわん物語』を
中央公論社から発刊しました。
『週刊ポスト』誌に連載された作品の出版です。

「台湾には一年間に約60万人の日本人がやってくる。
観光客もあれば、“男の天国”を目指してくる人もあれば、
海外投資に乗り出して一旗あげたいと思っている人もある。
いずれも、日本経済の発展と円高現象がもたらしたもので、
戦前には考えられなかった新しい説明といってよいだろう。
私は台湾の生まれで、
二十数年間も事情があって故郷へ帰らなかったが、
9年前から台湾と日本の間を定期的に往復するようになり、
この間、実にさまざまの人生模様を見聞する機会に恵まれた。

まさかそれが小説の材料になるとは思っていなかったが、
いざ筆をとって、もうどうにもとまらない。
どこかに掲載するかもきめないで、7篇書きあげてしまい、
それから『週間ポスト』に持ち込んだ。
何しろ週刊誌の連載小説向きに枚数も切っていない、
はたして採用してもらえるかとあやぶんだが、
関根進編集長をはじめ、若いスタッフの皆さんの同意を得て、
逆に紙面の方で調節をしてくれて、
昭和55年11月から56年6月まで全部で10篇を
同誌に連載してもらった。

連載中、さまざまな反響があった。
台湾に行ったら、知らない人から
『邱センセイは僕のことをモデルにして小説を書いている』
と云われたし
『なつかしい、自分のことのような気がする』
と手紙を下さった方もあるし、
なかには、『僕は3ヶ月にいっぺんくらい台湾に行きますが、
センセイの小説を見て、女房が色々質問するようになって
弱っていますよ』と頭をかいている人にも出会った。

昨今は日本人の行動半径が広がったので、
小説の主人公たちもロンドンやパリやニューヨークに
しばしば姿を現すようになったが、
まだ同じ日本人間の出来事が多く、
世界観や価値観の違った
異国人同士のぶつかりあいまでは行っていない。
たまたま私は日本人と中国人の精神構造の
内部にまで立入ることのできる立場にいるせいか、
双方で火花を散らしたり、
すれ違いになったりするところがよく目に映る。
一つそれをとりあげて
新しいジャンルをきりひらいて見ようと思い立った。
なにしろ短篇小説を書くのは二十数年ぶりで、
小説に関する限りは、貯める一方だったので、
『文学的貯蓄』は巨額にのぼる筈だが、
いざ放出する段階になると、はたしてどういう成果になるのか、
あとは読者の皆さんのご判断にお任せするよりほかない。
題名の『たいわん物語』は
荷風散人が明治の末期に書かれた『アメリカ物語』
『ふらんす物語』にあやかったものである」
(邱永漢著『たいわん物語』の「あとがき」)