小説『女の国籍』が刊行されてから、
8年後の
昭和62年に映画『ラストエンペラー』
映画が製作され
上映されました。

『ラストエンペラー』とは
中国清朝の最後の皇帝になった溥儀のことで
この映画は溥儀が皇帝となるものの清朝が滅び、
その後、日本が建国した満州国の皇帝になり、
日本の敗戦とともに中華人民共和国の一市民となって
平凡な生活を送るようになるまでのヒストリーを追った映画です。

坂本龍一がテーマ曲を手がけたこともあって
日本でも話題を呼びましたが、
アジアの歴史を追った小説『女の国籍』を書いた邱は
ベルトリッチというイタリアの監督が製作したこの映画を見て
深い感慨に打たれたとの感想を吐露しました。

「あの時代に関東軍によってでっちあげられた満州国の陰謀に、
清朝最後の皇帝溥儀が乗る話は
私から見ても面白いものであるし、
その過程で溥儀がさんざん煮え湯をのまされ、
ひどい目にあわされただろうことは、容易に想像がつく。
だから、私の小説の中でも、
馬占山が満州国の国防部長に任命されながら、
叛旗をひるがえしてシベリアに逃げたり、
即位式の席上で溥儀が日本人を快く思わない場面も出てくる。
日本人には想像もできないことだが
『ラストエンペラー』の映画に出てくる溥儀の描かれ方を見て、
似たような捉え方をする人がいるものだなあ、
と感慨ひとしおであった。

満州国をでっちあげようとした関東軍の野望は、
その地域に住んでいた中国人にとっても、
大へん迷惑な出来事であったが、
満州国そのものは小説の材料になるような
興味津々の出来事である。

ただそう考えて、あれこれ文献をあさってきた私も
溥儀その人の生涯を取り上げて、
スクリーンに展開することはさすがに思いつかなかった。
私自身が映画人でないこともあったろうが、
それだけに『ラストエンペラー』を見た時は、
『一本とられた!』と衝撃が背筋を走った。
もちろん、日本人であろうと、中国人であろうと、
アジアの人が描けばもっと違ったものになる。
というよりは、多分もっとつまらないものに
なっていたことだろう。
20世紀の前半を生きてきた人々にとって、
事件があまりに身近にあるために、
つい常識でよごれた目でみてしまう。

それをいきなり『ラストエンペラー』という形で
単刀直入な切り込み方したのだから、
『このイタリアの監督は何と才能のある人だ』
と改めて感心した。

宣統帝がどういう具合に育てられ、
どういういきさつで皇帝になって行ったのか、
また清朝が滅亡していく過程で、宮廷の中で何が起こり、
宣統帝自身がどういう立場におかれたのかといったことを
スクリーンに描くだけでも立派な絵になる。
ギリシャの皇帝やペルシャの皇帝に比しても、
各段に数奇な運命を辿った男の生涯だから、
これに気がつかない方がどうかしているといってよいだろう」
(「考えたらすぐ実行する癖をつける」
『金儲け発想の原点』に収録)