「最初の資本金は台湾元で六百万元
(海外からの投資は最低が米ドルの十五万ドルであった)。
その半分の払い込みで、七万五千ドルだったと思う。
坂井、石田という日本側が半分、
私と陳という友人が台湾側を代表して半分、
合わせて千五百万円くらいからスタートをした。

約束どおり技術者が日本から派遣されてきた。
田舎で剣道具をつくっているような若い人たちだから、
真面目で質朴で一生懸命働く。

剣道具は他の縫製と違って
面をつくるにも小手をつくるのも縫い込むのに力がいるので、
男の職人のほうが女工さんより多くなる。
今までにつくったこともないものだけに、
洋服などと違って教えられたとおりにつくってくれる。

しかし、自分たちが使ったことのないものだけに、
どうしてそういう具合につくるのか、
その理由は全然わからない。
それでも半年もやっていると、
日本に負けないだけのいいものができあがり、
少しずつ輸出ができるようになった。」(出典『失敗の中にノウハウあり)