日本から技術者を六人も派遣して、
台湾の若い職人や女工さんの指導にあたったが、
仕事を展開していくうちにトラブルが続出した。

今でこそ台湾も所得水準が上がって洋服を着る人がふえたが、
十三年前の台湾ではまともな洋服を着ている人はほとんどいなかった。

自分たちが日常着たこともない物を型紙どおりにつくれと言っても、
教わったことはできるが、自分が着る身になったつくり方はできない。
たとえば、日本人は細かい、人目につかないところでも、
丁寧な仕事をするが、
台湾の人もアメリカ人もそんなところはおざなりにする。
ズボンの腰まわりの生地は日本から輸入する代わりに
台湾製を使うと、一着につき百円くらいコスト・ダウンになる。

台湾の人はそれでいいだろうと思って、
コスト・ダウンをはかるが、日本へ持ってくると、
千円値引きしても買ってくれる人がいない。

また台湾の賃金が安いのが狙い目だったが、
実際につくらせてみると、
日本では一人で一日二着の上着を縫製するのに、
台湾では慣れないせいもあって、
二人でやっと一着しかできない。

しかも材料を輸入するのも、
製品を運ぶのも船足にたよらなければならず、
注文が来てから納品するまでに、
早くても三か月かかってしまう。

日本内地で電話一本で
一週間目には製品を間に合わせてくれるのと
比べても遜色がありすぎるのである。」
(『失敗の中にノウハウあり』)