昭和46年10月1日に邱永漢自選集が
発刊されましたが、
その直後の、10月25日、邱の故郷である
台湾の国民政府が国際連合総会にて、
「中国」の代表権を喪失し、同時に国際連合から
脱退するという事件が起こりました。
邱のその後の人生を大きく変える
大事件の発生です。
「昭和46年は、私にとって
ひとつのしめくくりになっている。
私が半世記を書き終わって、
自選集の出版をはじめた秋口に、
突然、台湾の国民政府が国連から
追放されるという事件が発生した。
実際には中国の国連加盟が承認され、
これに反対した国民政府が退場したという
形式をとっているが、これは
どちらにしても、同じことであろう。
当事者にとって見れば、将来を左右する
大事件で、台湾の株は大暴落、
土地も建物も買い手がなく、逆に
持ち出し可能なドルのヤミ値は
公定価格1ドル40元が52元まで
大暴騰をした。
このことは台湾の住民の間に
動揺が起こっているという証拠であって
将来どうするか、国民政府としても
腹をきめるべきところに追い込まれている
ということを物語っている」(「私の金儲け自伝」)