ニクソンショック下、邱永漢は
買える株があると考え、ある雑誌に
買える株を具体的に書き入れたが
それが印刷され始めた昭和46年8月28年、
変動相場制への移行が発表された。

「変動相場制になると、まず円とドルの為替レートが
360円から離脱する。その幅がもし10%くらいになれば、
課徴金と合わせて20%くらいになるから、
これはいくらなんでもショックである。
株式市場がさらに暴落して、

その翌日に私が書いたものが週刊誌に載る。

チンプンカンプンで私の見通しの悪さを
広告することになるのではないかと

その夜、寝苦しい一晩を送った。

ところが、翌8月28日は土曜日で
開かれなかったが、相場は暴落どころか、
逆に少しばかり高目に終わり、

私が各界の指標銘柄としてあげた8銘柄のうち、
大隈鉄工を除いた

東亜港湾、富士写真、資生堂、東陶、大福機工、
立石電機、東急不動産はいずれも値上がりを見せ、
相場感覚はまだ衰えていないかごとき動きになった。

おかげであまり恥をかかないですんだけれども、
私は株式市場のこうした反応の仕方は、
日本人の国際貿易や為替相場に対する敏感さと
鈍感さを同時に示しているように思う」。
(邱永漢著『世の中どう変わる』)