「私がいくらスポンサーが同情して広告を出してくれても、
クビになった社長さんに対する援助は
そう長くは続かないと言っても、
クビになって途方に暮れている竹田さんには
ほかに妙案があるわけがありませんから、
結局は小さな事務所を東京で借りて、
小さな広告会社をはじめました。

はたして広告会社にはその後、大した進展がなかったので、
竹田厳道さんは退職金を使い果してしまう前に、
次の新しい仕事をあれこれと考えることになります。
もともと営業畑の出身ですから、
北海タイムスにいた時でも
次から次へと新しい企画を打ち出してきた実績があります。
ですからしばらくすると、また私のところへやってきて、
今度は競馬新聞をやりたいと言い出しました。
駅の新聞売場を見ても、競馬新聞はとぶように売れています。
広告だってたくさん載っています。

でも、この申し出に対しても、私はすぐに異議を唱えました。
どうしてかというと、
競馬新聞は競馬の駈け出しが読む新聞ではなくて、
競馬のプロ、それも町の競馬キチガイの読む新聞だからです。
プロは競馬に対する知識もあるし、
ちょっとした記事の間違いにもすぐ気がつきます。

そうしたプロを相手に競馬の知識のないシロウトが
新聞をつくって読ませることができるわけがありません。
どう考えても私の方が正論ですが、
言い出したら人の話などきく人ではありませんから、
竹田さんはまたしても競馬新聞の発行を強行しました。
しかし、競馬には全くのシロウトだけど、
新聞を発行しても売れるわけがありません。
公平で冷静な私の判断の方が正しかったので、
3ヶ月もしないうちに競馬新聞もまたご破算になってしまいました。

さあ、そうなると、いよいよ退職金も底をついてきます。
あわてた竹田さんは色々考えた末に
また新しいアイデアを持って私のところへ現われました。
今度はナマの油絵を画家に描いてもらって
「一枚の絵」と題して一家に1枚、
月賦販売で売りつけるビジネスです。
1枚5万円の絵を
月5000円の10ヶ月払いで売りつける商売はどうかというのです。」
(出典:邱永漢著『失敗の中にノウハウあり』)