さて、前に書いたように昭和44年に
邱永漢は渋谷の青葉台に
はじめて自分が建てた家に移住した。

「気分を一新するには、
何よりも転居が一番効果的である。

だいぶ前から、
私は新しい家を建てることを家内に約束していたが、
次々とビルを建てるのに追われていたので、
遅れ遅れになっていた。

原宿のビルのあと、
渋谷に外人用マンションを建て、
つづいて新宿に建てた事務所ビルも一段落したので、
やっと南平台の隣の青葉台というところに
百二十坪余りの土地を買い求めて、
高山慎さんという建築家に
スペイン風の白い壁の家を設計してもらって、
昭和四十四年四月四日に引越しをした。

どうして引越日を正確に覚えているかというと、
偶然にも四並びの日だったからである。

うちの女房はさして経済観念のある方ではないが、
料理がうまいことのほかに、
(一)不動産の値打ちを予測する能力と、
(ニ)年齢に応じた生活の変化に対処する能力
という特技をもっている。

この家へ移るときも、彼女は、
「この家は十年しかもちませんよ」といった。
十年たつと、三人の子供は嫁に行ったり、
嫁を娶ったりして、それぞれ独立するから、
離合集散が起こるというのである。」
(邱永漢『邱飯店のメニュー』)