昭和42年に邱は「サンケイ新聞」に
「年をとらない法」を連載しました。

「なぜこのテーマをとりあげたかというと、
戦後平均寿命が伸びたために、
日本の国が全体として老化現象をおこしはじめたからである。

20世紀後半における一番めだった社会現象は、
一つはセックス革命、もう一つは老人問題であろう。


セックス革命とは
アメリカにおける夫婦交換パーティーとか

『男のような女、女のような男、ピーター』
に象徴される
モノセックスといった形で、
セックス上の既成概念や既成道徳を

崩壊させる力のことで、老人問題とは、
国家全体として平均年齢があがった場合、
老人をどうするかという社会問題である。

私は5年もたてば、ジャーナリズムが
老人問題を絶えず取り上げざるを得なくなるだろうから、
まず自分の考えを整理しておこうと考えて
『年をとらない法』を書いた。

老人問題というと、
すぐ老人ホームや養老年金を
連想するのが世間の常識であるが、

真の解決法は
『老人ホームに行かないですむ方法』

『養老年金なんか目もくれないですむ方法』
ではないだろうか」(『お金の値打ち』まえがき。昭和45年)
この文章のなかで邱さんが老人ホームや養老年金と
無関係に老後を過ごすことができるための方策として
提案しているのが
「定期収入の道を講じておくこと」です。

のちに邱さんは
「私はよほど人間がせっかちにできていると見えて、
仕事に手を出すのが早すぎる」
(『若気の至りも四十迄』昭和61年)と書き、
その一例として、この「年をとらない法」の執筆をあげています。
「今なら老齢化社会は自分の身の上にもふりかかっているから、
なるほどと思って読んでくれる人がいるだろうが、
あの当時では『何を世迷い言を!』と思った人も
多かったに違いない」(同上)

それにしてもこの「年をとらない法」は年が経つほどに
値打ちを高めていきます。
この執筆の3年後に出版される
『お金の値打ち』(昭和45年)で収録されたあと、
『新お金の値打ち』(昭和49年)で再びとりあげられ、
その9年後の『人生後半のための経済設計』(昭和58年)で
メインの作品としての位置づけを与えられて、
三度目のおつとめを果たすことになります。