私は、私が栗田工業の株を持っていることを告げると、
野崎常務はいくらで買ったかときく。
四百六十円だというと、野崎さんは私に両手をあわせ、
「センセイ。うちの株は一株につき二百円の値打ちしかありません。
センセイのような人に四百六十円の株を持たれると、
その精神的負担に耐えられませんから、
どうか売ってしまって下さい」

もちろん、冗談半分の話にきまっているが、
東京へ帰ると、一週間のうちに五百六十円にはねあがっていたので、
私は百円とって全部売りとばしてしまった。

私が「栗田工業」の創業者である
栗田春生さんと会ったのはその直後である。

戦後の灰の中から事業をおこして
大をなした人々に私は数多く会ってきたが、
栗田さんのような、痛快な、
私利私欲のない人にはかつて会ったことがない。

初対面のときに、
『栗田工業はどのくらいの大きさになると思っていますか?』
と私がきいたら、即座に
『いつ八幡を追い越そうかと思っているところですよ』
という答えがかえってきた。」(「邱飯店のメニュー」)