リコーの創業者、市村清は
昭和37年5月、、時の総理の佐藤栄作から頼まれて、
高野精密工業という再建に乗り出します。

その頃、邱は市村から大変重要な話を聞きます。
「私は『付加価値』をわかりやすく
説明するために、いつもリコーの創業者、
市村清さんとの問答を引き合いに出している。

市村清さんは私より24歳も年上で、
銀座4丁目に三愛ビルを建てたころが
人気絶頂期であった。

どういうわけだか、私のいうことに
とても耳を傾けてくれたので、
よくリコーの本社に訪ねていった。

あるとき、市村さんは私の顔を見るなり、
自分の腕につけていた時計をはずして
『邱さん、この腕時計はうちの
リコー時計でつくって小売り1万円で
売っている時計ですが、加工する前の
原料はいくらだと思いますか?』
と聞いた。

名古屋の高野精密が
倒産寸前まで追い込まれ、
ときの首相佐藤栄作さんから
再建をたのまれた
いきさつのある会社である。

『で、ほんとうはいくらなんですか』
と私は腕時計をてにとって
しげしげ見つめながら聞きなおした。

『工場の連中に計算させたけれど、
たったの33円だそうでよ。
33円で輸入してきた原材料を加工して
腕時計の完成品にすると、
それが1万円にもなる。
加工による儲けというものは大したものですね』
と市村さんは感慨深そうに言った。」
(『日本人はアジアの蚊帳の外』平成6年)

1万円を33円で割ると、約300倍です。
時計をつくる過程で莫大な付加価値が
生み出されることがわかります。

この話から、邱は富を創りだす上で、
「付加価値」が重要な役割を果たすことを
学んだと思います。

この時から数えて約30年後の昭和63年、
邱は中国大陸に初めて足を踏み入れ
頼まれて、中国の起業家たちに講演するのですが、
富を創り出すものが付加価値であることを伝えるため、
市村から聞いた実話を紹介しました。