『婦人公論』誌に「私の株式投資必勝法」を連載したあと
邱さんは中央公論社の嶋中鵬二さんに
「これからは多くの人が株式投資に興味を持つようになると
思うから、週刊誌でも、株のことをとりあげたらどうですか」
と口説きました。

「嶋中さんは編集者としてもカンの鋭い人で、
文学的雰囲気で生いったせいもあって文学趣味が強く、
私の考え方に賛成してくれるまでに一年間もかかった」
(『私の金儲け自伝』)とのことです。

こうして邱さんの会社探訪記「会社拝見」の連載が
昭和34年11月からはじまることになりました。

「『週刊公論』はきれいごとの記事が多く、
経済とか金儲けとかには弱かった。
そこで私が金儲けと直結した記事を扱うことを
提言したのだが、しかるべき執筆者がいないので、
結果的には私が自分を売り込んだ形になってしまい、
『会社拝見』という株式評論を連載した」
(同上)。

この連載はたちまち株に関心をもつ人たちの心をとらえました。
「株のことを週刊誌に書く習慣のない時代であったから
私の連載は投資家たちの間で一大旋風をまき起こした。
というのは、私がある特定の会社訪問記を書くと、
発売日にその株がストップ高をするという珍現象が
起こったからである。
連載が終わると、これも珍しいことだが、
何と株とは縁もゆかりもない角川書店から
『投資家のための会社拝見』と題して出版された。
いまその本を覗いてみると
『オリンピックの産業の本命、佐藤工業株式会社』
『「好況を呼ぶ虹のかけ橋、株式会社宮地鉄工所」
といった記事が載っている」(『金儲け発想の原点』)。

「いずれも、やっと店頭株市場に顔を出したばかりで、
私がこの二社を取り上げたのは、
佐藤工業がトンネル専業の建設業者であり、
宮地鉄工が橋梁メーカーとしては大手に属していたからであった」
(同上)


「訪問記を書くために佐藤工業の東京支社に行くと、
社長の佐藤欣治さんが『実は黒部ダムが完成して
今期の決算では売り上げも利益も前年度の倍になって
しまったんですよ』と私に教えてくれた。それをきいて、
私は売った株をもう一度高値で買い戻した。」
(同上)