邱永漢は日本の小説家で
大家と言われている人たちの姿を見て、
自分が年をとったあとのことを考え、
経済面の対策を講じておかなければいけないと考えました。

「もうひとつ、私が金銭を重視した動機の一つは、
日本の小説家たちの生活態度とかかわりがある。
小説家ほどハヤっている人とハヤらない人との収入に
ひらきのある職業も珍しいが、小説家は歌手と違って、
比較的、生命の長い商売である。
だから、一度流行した作家は第一線を退いても
大先生として扱われ、ときどき、作品が文芸雑誌に掲載される。
私はときおり、老大家に分類される人たちの作品を読んだが、
時代のズレは覆うべくもなく、
年をとってもこんな作品を書くのは、
名声を維持したいことと、生活費を稼ぐためであろうと思った。

老大家といわれる人たちでも、小説家を業とする人たちは
一般に経済観念に乏しく、税金を払う金も雑誌社に泣きついて
前借りする人が多いことを、私は知るようになったのである。
私も私の妻も、芸術家とか、芸術家気質を
理解しないわけではなかったが、
小説書きを著述業という一種の職業と見る立場にあった。
いまでもその習慣がついているから、
連載物を十本書いても約束の期日までに、
原稿を遅らせたことはただの一度もない。
原稿を書くことを引き受けた以上は、
約束手形を振り出したようなものであり
できない仕事は最初から引き受けない
ことになっているからである。」
(『私の金儲け自伝』昭和46年)

「そういう見方だから、
小説家という職業の長所や欠点がどうしても目につき、
『年をとって感覚がズレたときになっても、
まだお金のために原稿書きをしなければならないようでは大変だ。
少し理財に心掛けねば年をとってから惨めなことになる』と
痛感するようになった」(同上)。

こう考えた邱は35歳です。
邱も30歳代の半ばになったところで
老後に備えた経済設計の必要性を感じたのです。