邱永漢が昭和30年代の初めに
「借金のすすめ」を提言した裏話の続きです。

「経済の高度成長期は、工場でもそうだったが、
銀行から借金をして不動産を買い、
2、3年利息を払っているうちに
値段が倍になるようなことがしばしば起こった。
同じ物件の時価が倍になれば、担保価値が上がるから、
名目さえつけば、
それを担保にしてもっと多くのお金を借りられる。
極端な言い方をすれば、ほかに何もしなくても、
銀行からお金を借りて土地さえ買っておけば、
何倍にも何十倍にも財産が増えたのである。
ただ空地のままでは収入がないから、利息も払えないし、
元金も返済できない。
商売人はそういうところは心得ているから、
ほかに収入の道を考えてその収入を銀行の返済にあてる。
豊富な自己資金を持っている会社でも、
自己資金だけでそれをやるよりは、
借金をしてやった方がうんと効率がよくなる。
不動産が何倍にも値上がりするのと逆比例して、
お金の値打ちが下がり借金の返済がしやすくなる。
こういう原理が働いている以上、
それに気づいた企業が借金に目覚め、
日本国中、借金経営に走るに違いない、
と私は睨んだのである。

企業が先走っているのに比べると、
個人はずっと遅れをとっていた。
『入るを図って出を制す』が長い間、
家計の大原則として受け入れられてきたので、
どこの家でも借金を敬遠する風潮があった。
お金はコツコツ貯めるもので、
家はお金が貯まってから建てるものであると、
大抵の人が思い込んでいた。
しかし、コツコツ貯めて100万円になったら、
家でも建てようと計画していた人が実際に100万円貯めた頃には
400万円なければ家が建たないようになっていて、
『家が建たずに腹が立つ』結果に終わってしまった。
だから『サラリーマン諸君よ。経営者を見ならって
まず金を借りて家を建て、それから賃上げ闘争をやって収入を
ふやし、借金は少しずつ返済したライかがです?』と
昭和33年の時点で私は提案したのである。」
(「ダメな時代のお金の助け方」)

日本で住宅ローン制度が採用されるのは昭和40年頃のことです。
ところで邱さんが『食は広州に在り』を連載したのは
昭和29年から31年の頃です。
つまり住宅ローンの制度が取り入れられる10年も前に
時代の流れを読んで、次におこるであろう事を予測し、
具体的な提言したわけです。
邱さんが時代の先を読んだ一例として、
この提案は特筆に価することですね。

「『借金のすすめ』を私が発表した時、
城山三郎さんが葉書きをくれて、
『一歩先を行っていますね』という意味のことが書いてあった。
ちょうど城山さんが直木賞になったばかりで、
いわゆる経済小説が世間の注目を浴びるようになった
矢先のことである。
私自身は小説を書くことに食傷して、
経済問題とか産業界に興味をもちはじめたばかりであった。
私は大学で経済学の勉強をしたが、
大学で教わる経済学は天下国家のことばかり論じていて、
個人のふところのことはまるでお留守である。
だから、ケインズ理論とはこういう考え方のことだということは
わかっていても、貯金はこうすればよい、
借金をするのはどうだろうか、
などという知識はまるで持っていなかった。 
実はそういう先入観を持っていなかったおかげで、
私は『借金のすすめ』が書けたのではないかと思う。」
(「インフレに相乗りする法」)