邱永漢は昭和33年11月、

小説集『惜別亭』を刊行した直後の

昭和34年2月

小説『誰が家の花』を出版しました。

 

この小説「誰が家の花」は

婦人画報に連載し、

香港から日本に留学した青年と

日本人女性との交流が描いています。

 

のちに邱は

大学時代の恩師が病気になり

その治療費を稼ぎ出すために書いたと

執筆の舞台裏を明かしていますが、

この作品に対しては

「どう見ても下手糞な恋愛小説」

(『オトコをやめる話』あとがき)

と辛い点数をつけています。