邱永漢が

昭和31年(1956年)、文藝春秋誌に書いた

「日本天国論」の内容を

その33年後の1989年『付加価値論』Part1

でふりかえっている内容の抜粋の最後です。

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ついでに私は文化のことにもふれた。

何を基準にして文化の高い低いを

論ずるかはたいへん難しいことであるが、

私はその国の人がふだん食べている食べ物と

、お芝居(今日でいえば、娯楽、レジャー産業のすべて)と、

それから女の人の家庭における地位の三つを

物差しにすることを提案した。

食べ物について私はこう述べている。

 

「銀座八丁目を歩けば、

世界中のどんな料理でも食べられるとよく言われているが、

これは日本人が味の点でも寛大で

進取の気性に富んでいる証拠だと私は思っている。

過去に於ける日本の料理技術は単純であったが、

日本人は外国のそれを学びとろうとする精神を持っているから、

今後第二の"天ぷら"や"すし"が現れるに違いない。

ただ外国の文化を吸収する過程に於いて

多少の混乱を免れないのは当り前であるから、

我々はしばしば日本の"ライス・カレー"的食物文化に

閉口させられることも事実である」

 

「しかし、好意的な解釈をすれば、

一〇〇円のランチにコーヒーまでついているのは

多分世界中にそうざらにはない筈であり、

そのランチが些かお粗末にすぎるのは、

日本人全体として貧乏に甘んじなければならない客観的経済状態、

手っ取り早く言えば、皆の懐中が乏しいからである。

日本人はすぐアメリカに比較して物を考え勝ちだから、

自分達は貧乏で救いがないと思う傾向があるが、

アジアには日本より遥かに低い

生活水準に置かれている国が沢山あり、

現在の日本人の所得水準で日本人と

同じ程度の生活を享楽している国民に至っては絶無と言ってよいだろう。

その意味で日本の文化が安ピカにすぎるのは、

それだけ広く日本人の生活に結びついている証拠だと

考えてもよいのではなかろうか」