初の随筆集で箱入りの

『食は廣州に在り』の発刊にあたり

邱永漢は「後記」として次のように書きました。

 

「今度。澤田伊四郎さんのご厚意で、

私としては初めての随筆集を出していただくことになった。

これは昭和29年12月から『あまカラ』誌上に

掲載してきたもので、はじめとおしまいでは

筆の調子が大分違ふが、その反面、

自分なにりに一つの形をなしていくのが

手にとるように見えるので、不完全の形と知りながら、

快刀乱麻といふ気持にもあれないでゐる。

 

もしこの随筆集が何からかの意味で、

読者の皆さんを楽しませることできたとしたら、

それは執筆をすすめてくれた友人の薄井恭一さん、

色々と無理をきいてくれた甘辛社の

今中善治さん、大久保恒次さん、水野多津子さんの

おかげであろう。

なお、文藝春秋社の樋口進さんには

写真を提供していただいた。

紙面をかりて感謝の意を表します

 (1957年3月吉日) 著者」。


龍星閣社では「食は廣州に在り」を次のようにPRしました。

「『食在広州』とは世界の美味は中国にあり、

中国の味覚は広州にあるということで、

さしずめ『大阪の食い倒れ』とでも訳されよう。

中国の文化をシナ料理の豊富な知識と独自の

ユーモアに織りまぜ、この随筆ほど天下の食いしん坊を

堪能させながら、しかもそのまま文学になっている

著がないと言われている」

 

そして、それから18年ばかりたった頃、

小説家の丸谷才一が『文藝春秋』誌での連載

「食通ぶったくり」でこの本を次のように推奨しました。

 

「邱永漢氏の『食は広州に在り』は名著である。

戦後の日本で食べ物のことを書いた本を3冊選ぶとすれば、

これと檀一雄氏の『檀流クッキング』と

吉田健一氏の新著『私の食物誌』ということになろう」と。