文藝春秋社の薄井恭一氏の誘いで
関西の食べ物雑誌「あまカラ」誌
昭和29年12月号から「食は広州に在り」の
連載を始めたことは前に紹介しました。
最初は5回か7回の予定でしたが、
評判がいいので延長、延長の話が続き
昭和31年まで2年半にわたって連載が続きました。
この連載中に30年下半期の直木賞の審査が行われたのですが
「直木賞の審査委員会の席上、
『あのエッセイを書いている人か』と
話題になって受賞のきっかけになったと、
あとで人にきかされた」(『食は広州に在り』(Qブックス版))
とのこと。
この「食は広州に在り」の連載が完結し
龍星閣から昭和32年4月に出版されました。
「龍星閣というのは、
澤田伊四郎さんというきわめて個性的で、
一人だけでやっている出版屋さんで、
高村光太郎の『智恵子抄』をロングセラーで売っているという、
お金を担いで頼みにこられても、
気に入らないものは引き受けないが、
『食は広州に在り』は気に入ったから、お願いしたい。
その代わり、本は立派につくるが、
印税は払いませんよ、といわれた。
私は承知して、龍星閣から昭和32年に
大家も望めないような
立派な装幀の本を出してもらった」(同上)。