友人の窮状を伝えるべく東京で徹夜して書いた

「密入国者の手記」が、台湾時代に世話になった、

西川満氏の厚意で、長谷川伸先生の「新鷹会」(しんおうかい)

で朗読され、山岡荘八、村上元三らが激賞し、

会の雑誌、『大衆文藝』に掲載されることになりました。

 

「結果的にはこの短篇が私の処女作になったが、

私はこの原稿を持って阿佐ヶ谷に住む

元台湾日日新報の学芸部長だった

西川満さんのところへ訪ねて行った。

 

西川さんは台湾から引き揚げてきてから

『キング』や『講談倶楽部』といった

大衆雑誌に時々、寄稿をしておられた。

 

私の直接知っている人で

ジャーナリズムと関係のある人といえば

西川さんしかいなかった。

事と次第を述べて、私がどこか

掲載してもらえそうな雑誌はないでしょうかときくと、

商業雑誌に載せてもらうのはそう簡単にはいかないけれど、

自分は長谷川伸先生の新鷹会という

小説研究会に所属している。

 

月に一回、研究会があるから、

そこへ行ってあなたの代わりに朗読をして

みなの意見をきいてあげましょうと引き受けてくれた。

 

私はその足で香港に帰ってしまったが、

追っかけるように西川さんから手紙が届いた。

 

新鷹会であなたの文章を紹介したところ、

君がどのくらい手を入れたかときかれ、

いや、まったく手を入れていませんと言ったら、

山岡荘八さんも村上元三さんも、

この人才能があるかもしれんぞといって激賞していました。

新鷹会の『大衆文芸』という雑誌にのせることにきまりました、

どうもおめでとう、と書いてあった。」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)