香港に亡命していた邱炳南(邱永漢)は

郵便小包を通して、2000万円のお金を持り、

その後、妻子を持つようになりましたが、

結婚する前からの課題は、2000万円のうち

東京に預けている1000万円のお金を

どう活用するかでした。

 

「あとになって考えてみると、

香港から郵便小包を送っただけで何千万円も儲かったのは、

偶然にそういうチャンスにめぐりあっただけのことで、

商才のあるなしとは何の関係もない。

 

その証拠にライバルが次々と現われて、

舶来品の値段が大暴落して引き合わなくなると、

私はなす術を知らなかった。

それでも私は東京に一千万円ほどのお金を持っていたので、

何とか転進の方法はないかと考えた。(中略)

 

私は一千万円持っていたので、

東京に住んでいる姉に手紙を書いて、

東京で家を買ってくれないかと頼んだ。

しかし、私の姉は、あなたはまだ独身だし、

将来、東京に住むかどうかもわからないのだから、

家を買っても仕方がないでしょうと、

気のすすまないような返事をよこした。

 

そんなことよりも、

アメリカ軍が日本を占領していて、

厚木の基地の周辺に住んでいる人が多いが、

水洗便所も冷暖房もない日本の住宅には住みきれないので、

住宅不足に悩んでいる。

アメリカ人向けの借家を建てて貸したらどうだろうか、

と書き添えてあった。

 

私はすぐに返事を書いて、

ぜひそういう仕事をやりたいから、

厚木の付近で土地を物色してほしいと頼んだ。

折り返し返事があって、

相模原に適当と思われる土地が見つかった。

一万坪で坪三百円、合計して三百万円だがどうか、

ときいてきた。

私は二つ返事で買ってくれるようにと手紙を出したが、

私の姉と義兄はそれを実行に移さなかった。

というのは姉たち夫婦は、

人に頼まれて経営不振におちいっていた

チューインガムの工場を引き受け、

私が預けたお金をそちらにまわしてしまったからである。」

(『失敗の中にノウハウあり』)