邱炳南(邱永漢)は
1951年(昭和26年)5月10日に
藩家の三女、苑蘭との結婚式を挙げました。
香港に亡命して4年目に
生まれお祝いの日になるはずのものでしたが、
邱の心は晴れませんでした。
婚約や挙式をめぐっての
習慣やしきたりの違いで
先方の家との間で冷たい風が引き
邱はすっかり落ち込んでしまったのです。
「私の車には
おめでたのしるしに朱の帯がかけられていた。
運転手は、この日のためにわざわざどこかから
タキシードを借りてきて身をかため、
私を花嫁の家まで運んでくれた。
キリスト教徒ではなかったので、
結婚式といっても神の前で誓うわけではなく、
香港サイドにある註冊署に行って、
お役人の前で二人がサインをし、
双方の証人がまたサインをするだけである。
そのあと広州大酒家の三階を借り切って
披露宴をやることになっていた。
しかし、私はずっとふさぎ込んだまま、
ろくに口もきかなかった。
どうせ私には必要でもないことのために
喧嘩のタネを蒔かなければよかったと後悔していた。
金銭はあらゆる幸福をもたらしてくれると言うけれども、
それをめぐって争いになったり、
不仲になったりすることもあることが身にしみた。」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)