周囲から、香港の女性との結婚には

慎重に対処するようにという趣旨のアドバイスもあったが、

27歳の邱炳南(邱永漢)は

藩家の三女、苑蘭(えんらん)と

出会ってから3週間という短い間に

婚約した。

香港に亡命してから4年目に当たる

1951年(昭和26年)のことです。

 

「しかし、そうしたアドバイスにもめげず、

私は知り合いになってから三週間あまりの

エイプリル・フールの日には婚約をした。

 

また五月十日には結婚式をあげる

という性急なスケジュールを組んだ。

これは私の性格からくるものだろうが、

私は『思ったが吉日』の信奉者で、

何事もただちに実行しないと気がすまないほうである。

この時も電光石火のやり方をした。

 

のちに日本で小説家になった私のところへ、

まだ小金馬を名乗っていた金馬師匠がマイクを片手に、

私の家にインタビューに来たことがあった。

 

小金馬さんの質問の仕方からいち早く

雲行きを察したうちの家内は、小声で私に、

『速成(ツオッセン)は日本語で何と言うの?』ときいた。

 

まだインスタントという言葉がなかった頃だったので、

私は『ソクセイというんだ』と教えた。

やがて小金馬さんが、

『すると、奥さん、センセイとは

やっぱり恋愛結婚ということになりますね』

とマイクを家内の前にさし出した。

家内はすかさず、『いいえ、ソクセイ結婚です』

と答えて大笑いになったことがある。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)