邱炳南(邱永漢)が居候していた

廖家は諾士佛台にありましたが、

金回りが良くなったので、そこから5分ほどの

場所にある漆咸圍(ツァッハムウイ)のマンションで

の一室を借りて生活できる身分になりました。

 

「といっても、居候していた家で、

主人面はできないし、

またほかに居侯が一杯いるところで、

自分だけ勝手にふるまって

人からよく思われるわけがない。

 

幸いにも小包屋は順調に推移していたし、

ふところ具合も信じられないくらいよくなってきた。

 

いまでは高級マンションの一室を借りて

住むくらいの余裕があるようになっていた。

 

私がマンションが欲しいと言うと、

阿二がすぐブローカーにわたりをつけ、

間もなく諾士佛台の廖家から徒歩で

五、六分のところにある漆咸圍

(ツァッハムウイ - 英語でチャタム・コート)

というところに新築されたマンションの一階が見つかった。

 

家賃は香港ドルの五百ドルで、

敷金は家賃の二十倍の一万ドルだった。

 

香港へ流れてきて約二年、

はじめはどうなるかとおそれおののいたが、

どうやら高級住宅地に

マンションを構える身分になった。

 

それは『生命からがら逃げのびた』

亡命者にとっては思いもよらなかったことだったが、

無一文に近い状態からスタートして

どうしてこういうことになったかは、

まったく想像の外と言ってよかった。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)