どうして、台湾の統治を台湾人自身の判断でという

訴えを国連に伝えるという危険な役が

回ってきたのか、問いただす邱炳南(邱永漢)に

荘要伝が応えます。

 

「荘要伝という男が、自分で危ない橋を渡らず、

私に渡らせようとしたのは、彼自身の説明によると、

次のような理由からであった。

 

台湾で二・二八事件が起った直後、

義憤に胸をこがした荘は、

廖文奎、文毅両博士にわたりをつけて上海に渡り、

この兄弟に案内されて、

駐華アメリカ大使スチュウェルに会いに出かけた。

 

終戦後、暫定措置として、

国民政府軍の台湾進出を連合軍は認めたが、

まだ講和条約も締結されておらず、

台湾の将来をどうするかはまだ正式に決定していない。

 

そういういわば占領下にある台湾で、

台湾の人たちを暴徒扱いにして大虐殺を行ったのは、

悪虐非道というよりほかなく、

こんな人たちに台湾の政治を委任したことについては、

アメリカ政府にも責任があると、荘は強談判をした。

 

スチュウェル大使は荘の言葉に熱心に耳を傾け、

本国政府にも報告をする旨、約束をしたそうである。

『ところが、何食わぬ顔をして台北へ戻ってきたら、

うちの女房に上海に行ったことがばれてしまったのですよ。

女房は僕が政治にかかわることを極度に嫌い、

もう二度とやってくれるな、

もしもう一度やったことがわかったら、

必ず警察に密告するといって僕を脅迫しているんです』

 

『まさか』と私は笑い出した。

『いくら亭主のやることが気に入らなくとも、

自分の亭主を警察に突き出すような女房はいないでしょう』

『ところが、うちの女房に限って安心はできないんですよ。

僕はふだん、セビロもネクタイもつけずに、

この通りこんなカッコで出勤するでしょう。

僕がキチンと洋服を着ただけで、今日は何の用があるのです、

と根掘り葉掘りきくんです。

何しろうちの女房はネズミのようにすばしこい奴で、

ちょっとカタリと音がしただけで、

もうきき耳を立てているんですから』

『一体、どうしてそんな女と結婚したのですか?』

と、まだ独身だった私は理解に苦しむような表情をした。

『友達が結婚したいというから、

仲人をするつもりで女を紹介したんだよ。

そうしたら、友達がいやだというから、

僕が代わりに嫁にもらってしまったんだ。

もう一年早く二・二八事件が起っていたら、

僕は結婚など絶対にしなかっただろうな』」

(『失敗の中にノウハウあり』)