日本に砂糖を送る話は、

新竹県のある漁村でに挙行されますが、

船が港から出ようとするところで

不運に見舞われ、実現に至りませんでした。

 

「梧棲港につながれていた

百トンあまりの木造船に砂糖を積み込むものとばかり思っていたら、

空船のまま出発し、途中、

小さな漁港に寄って真夜中にそこから積み込むんだそうである。

いつどこで積むかはいずれ知らせるから、

いつでも出発できるように待機してくださいと言われて、

いったん台北市に引き揚げた。

 

いよいよ今晩出帆するという日に、連絡があった。

私は小さなトランクを一つ用意して、

新竹県のさる漁村に連れて行かれた。日が暮れると、

波打ち際から少し離れたところに件の船が姿を現わし、

それを合図に漁村のあちこちの家に

かくしてあった砂糖入りの麻包を、

村中の男女が一斉に運び出した。

 

まず筏に積んで木造船のそばまで運び、

そこで大きいほうの船に積みかえる。

密輸とはいえ、ずいぶん大がかりなものだな、

とすっかり感心して見守っていた。

ところが、中途まで積んだところで突然、

 

大波が打ちよせ、百トンの船が浅瀬に乗り上げてしまった。

砂糖を積み込むどころか、

逆にいままで積み込んでいた砂糖を下ろさなければ

船は浮かび上がりそうもない。

 

運も悪かったが、魚をとることしかできない漁村の人々には

予想もできない事故だった。

そうこうしているうちに夜が明けそうになった。

船主も荷主も浮き足立ってしまった。

密告があったのかどうか知らないが、

海岸線の防衛隊がこちらに向っている

というニュースが入ってきた。

 

『つかまったらバカらしいから、

一応、引き揚げることにしよう』

と友人の兄貴に言われて、

私はそそくさと現場をあとにした。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)