東大で同級生たち接するするようになって

邱炳南(邱永漢)がつかんだことの一つが

「一高、東大といっても、特別なことはない」
との感想でした。

 

「入学した当初はまだ西も東もわからなかったので、

ひととおり時間割りどおりの授業に出席した。

講義と講義の間、安田講堂前の芝生に寝ころがって、

他校から入学してきた同期生たちと少しずつ友達になっていった。

その中には一高から入学した者もあれば、

学習院から入学した者もあった。話をしてみると、

一高出が学習院出より頭がいいとか、

傑出しているとかいうことはなかった。

しまいにはまたいつもの癖が出て、

『一高、東大といっても、まあ似たようなものだな』と、

だんだんタカをくくるようになった。」

(『我が青春の台湾・我が青春の香港』)

 

そして東大で生活することにより

後年、人を評するにあたり、

学歴に重きを置かない人間観が形成されていきます。

 

「私自身について言えば、

東大に入れてもらったおかげで、

日本の最高学府が

どんなものであるかを実感するチャンスに恵まれた。

ザッと周囲を見まわしても、

私より頭の回転がよくて、私よりも機転がきいて、

なおかつ私よりよく勉強する人はあまり見当たらなかった。

のちに私が人物の評価をするにあたって

学歴をほとんど問題にしなくなったのは、

最高学府の楽屋裏をのぞいてしまったからである。」

(同上)