邱炳南(邱永漢)は農学部脇の新しい下宿で
一緒に住まうことになった台北高校尋常科時代からの先輩、
許武勇さんと手作りのゼンザイを楽しんだりしました。
「しもた屋の階下に
お婆さんと出戻りの娘さんが二人で住んでいて、
二階の二間を貸すと言うので、
東大医学部に留学していた
台北高校尋常科時代からの先輩にあたる許武勇さんと
隣り同士で一部屋ずつ借りて住むことにした。
許さんは私と同じ台南市の出身だが、
父親が神戸で貿易商をしていて、
当時欠乏していた砂糖や食糧も
何とか都合のつくほうだった。
私も親が心配して
台湾から砂糖や飴玉や豚デンブを
定期的に小包にして送ってくれていたが、
だんだん米軍潜水艦に商船が撃沈されるようになって、
補給が途絶えがちだった。
それでも砂糖の産地である台湾の出身だから、
日本内地の地方から来ているクラスメイトたちより
甘い物にめぐまれていた。
誰かが小豆を、また誰かが餅を持ちよって、
火鉢の上に鍋をかけて新聞紙で炭火をおこし、
手づくりのぜんざいをつくって
舌鼓を打ったりしたものである。」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)