昭和11年(1936)満で12歳の

邱炳南(邱永漢)は晴れて

台北高等学校尋常科(中学部)に入学しました。

 

台北高等学校の正式名は

「台湾総督府台北高等学校」で

台湾総督府の所管学校として

1922年(大正11年)4月、

邱が生まれる2年前に設立され、

外地で初の高等学校でした。

 

その構成は尋常科(四年制)および高等科

(文科・理科/四年生)で全体として七年制。

 

七年制の高等学校は 当時、

東京・浪速・富山・武蔵・成蹊・甲南・台北の七校で、

東京・浪速・富山・台北の4学校が公立、

武蔵・成蹊・甲南の三校 は私立の高等学校でした。

 

「狭き門をくぐって入学するくらいだから、

入ってみると本島人の合格者は秀才揃いであった。

入学してからも一番、二番は本島人で、

三番にやっと内地人というのが珍しくなかった。

本島人がいくら成績が優秀でも

兵役の義務がないことを理由に教練で

五十九点とか体操・音楽で減点されるから、

首席を維持するにはあとすべてを

百点か九十九点とらなければならなかった。」

(「我が青春の台湾我が青春の香港」)

 

内地で2月26日から2月29日にかけ、

陸軍の青年将校たちによるクーデタ、2・26事件が

起こった年のことでした。