邱永漢さんと同じくらいの年で
文学の世界で輝かしい業績を挙げた
日本人作家は三島由紀夫さんです。

邱さんの文章には
三島由紀夫さんのことが出てくる文章が
私が記憶する限り二つあります。

一つは富士銀行(現みずほ銀行)の役員をされた
紅林茂夫さんという人がラジオで
“がまぐち談義”とかいう番組を担当し
そのゲストとして邱さんが出演されました。

そのときの邱さんの話を、
ちょうど散髪していた三島由紀夫さんが、聞き、
「邱さん、やっているなあ」と思われたそうで、
そのことを、三島さんから聞き、邱さんが
“恥ずかしい”と思われたという文章です。

以上、どの本に出ていた話なのか今、
明示できないのですが、以上のような
文章を読んだ記憶があります。


さて、この三島さんは昭和45年に自決されましたが、
その前に邱家を訪れています。

「三島由紀夫さんが自決して死んだ。
三島さんは私より一つ下で、
ふだんそれほど親しく往き来していた仲でもなかったが、
自決する1ヶ月ほど前に私の家に見えた。
前に『暁の寺』の最後の部分を書いていて、
わからないところがあるので、教えてもらいたいと言われ、
それに答えたところ、そのお礼に伺いたいというのが
表向きの理由であった。
しかし、あとで考えてみると、それとなく
別れを告げるためではなかったかという気がする。」
(『貧しからず富に溺れず』)

三島さんは世界的な小説家として
この世を去られましたが、三島さんの青少年期の
年譜を見てみたいと思います。