邱さんが中学、高校の生徒であった頃の
文学への傾倒についてふれているもう一つの書は
『鮮度のある人生』(平成9年)です。
Ⅳ「鮮度のある生き方」の
最初の節「若い時は年上の知恵を借りる」
で次のように書いています。
「若い頃、私は自分よりずっと年上の人とつきあった。
きっと知能的に早熟だったからであろう。
十三歳の時に小学校から七年制の尋常科(中等部)に
入学し、ふつうなら中学を卒業して旧制高校に
入ってから着る黒いマントを十三歳の時から
肩にかける生活をしたので、小僧っ子のくせに
オトナの仲間入りをしたような気になっていた。
尋常科の二年生の時から文学書を読みはじめ
三年生の頃には、もう『文芸台湾』という
オトナの雑誌の同人に名をつらね、
新聞記者や学校の教師をしている連中と
肩を並べて雑誌に寄稿していた。
最近、私がその頃書いた詩を古い雑誌から
抜粋してきて、私の作品を論評した人があって、
それを読んでいるうちに昔々のことを思い出し、
作品ももちろんみじゅくだが、それにしても
生意気盛りの少年を、あの頃の同人たちは
よく相手にしてくれたものである。
経済力も生活経験もない少年のことだから、
実際には大した知恵や才能があったわけではないが、
机を並べているクラスメイトとは話があわず、
すでに社会人になっている人々のいうことなら
耳を傾けることができた。
そのうちに病がこうじて、たった一人で
雑誌をつくった。」
この雑誌が『月来香』と題する
和紙をつかった活版刷りという凝った
いでたちの雑誌です。