前回紹介した邱永漢さんの『斜陽のあと、陽はまた昇る』
には小林一三が“ ソース・ライス”なる食べ物を
発明したと次のように書いています。

「小林一三の時代には、日本の国全体が貧乏だったから、
『節約の心理』だけに焦点をあわせるだけで目的が
達せられた。
阪急百貨店の食堂では、おいしいライスカレーを
安い値段で提供することに腐心したが、
小林一三が発明したものの中には、ソース・ライス
といってご飯の上にソースをかけただけという一皿
5銭のご飯もあった。小林一三は、そういう貧乏人の
フトコロにあわせる特技があった。」

さて私は関西育ちですが“ ソース・ライス”
というものは聞いたことありません。
そこで調べたら、『ウィキペディア(Wikipedia)』
に次のような説明がありました。

「ソーライスとは『ソース・ライス』の略で、
ウスターソースを米飯にかけた食べ物のことである。
『ソーライ』とも呼ぶ。

1929年(昭和4年)に開店した梅田阪急百貨店
最上階の大食堂(2004年に閉鎖)では、
カレーライス(20銭)が人気メニューだったが、
翌年に昭和恐慌が起きると、ライス(5銭)だけを
注文してテーブルのソースをかけて食べて帰る客が増えた。
学生のあいだでこうした食べ方が流行したためである。
ちまたの食堂はこれを嫌い『ライスだけの注文お断り』
という貼り紙を出したりしていたが、
阪急社長の小林一三は彼らを歓迎する姿勢を打ち出し、
『ライスだけのお客様を歓迎します』という貼り紙を出し、
さらにはライスに福神漬をつけるサービス
(テーブルに調味料と一緒に備えつけて食べ放題とした)
まで行った。

従業員の中にはこれに疑問を持つ者も少なくなかったが、
小林は『確かに彼らは今は貧乏だ。しかしやがて
結婚して子どもを産む。そのときここで
楽しく食事をしたことを思い出し、
家族を連れてまた来てくれるだろう』
と言って諭したという。

こうして、『ソーライス』は阪急百貨店大食堂の
堂々たる裏メニューとなり、広く知られるようになった。
実際にも後の関西の財界人で、あれをよく食べた、
といった証言が多く聞かれた。」

いやあ、初めて聞きました。それにしても
貧しい人の心についていこうという小林一三さんは
やっぱり、お客のふところにあわせて柔軟に
対処する弾力性をもった経営者だったのですね。