昭和61年4月15日には
『失敗の中にノウハウあり』が刊行されました。
この本は東洋経済新報に掲載された
匿名座談会の様子を伝える記事がきっかけになって
生まれました。
その経緯を著者が次のように書いています。
「昭和六十年四月『週刊東洋経済』誌に載った
『邱永漢ブーム』についての匿名座談会である。
三人の経済評論家がわざわざ匿名にして喋ったのは、
もちろん、私への遠慮があっては面白くない
という編集者の狙いがあってのことであろうが、
その中の一人が、
『もし邱さんが"私の失敗談"を書いたら大ベストセラーズになるでしょう。
でも、まあ、ご本人は多分、書かないでしょうな、
その中にノウハウがあるんだから』
と述べてあった件である。
私はその座談会がひらかれたことは知っていたが、
席上で何が語られ、それがいつ誌上に出るのかも知らなかった。
ところが、台湾から帰ってくると、家にある私の机の上に
「ワタシノシッパイダンヨヤクイタシマス グラフシヤ ナカオコレマサ」
という文面の電報がおいてあった。
何のことだかさっぱりわからないままに中尾さんに電話をしたら、
『週刊東洋経済』誌に掲載された匿名座談会の内容を説明され、
それでやっと事情が少しわかりかけてきた。」
(邱永漢著『失敗の中にノウハウあり』まえがき)
続きは次回に掲載します。
『失敗の中にノウハウあり』が刊行されました。
この本は東洋経済新報に掲載された
匿名座談会の様子を伝える記事がきっかけになって
生まれました。
その経緯を著者が次のように書いています。
「昭和六十年四月『週刊東洋経済』誌に載った
『邱永漢ブーム』についての匿名座談会である。
三人の経済評論家がわざわざ匿名にして喋ったのは、
もちろん、私への遠慮があっては面白くない
という編集者の狙いがあってのことであろうが、
その中の一人が、
『もし邱さんが"私の失敗談"を書いたら大ベストセラーズになるでしょう。
でも、まあ、ご本人は多分、書かないでしょうな、
その中にノウハウがあるんだから』
と述べてあった件である。
私はその座談会がひらかれたことは知っていたが、
席上で何が語られ、それがいつ誌上に出るのかも知らなかった。
ところが、台湾から帰ってくると、家にある私の机の上に
「ワタシノシッパイダンヨヤクイタシマス グラフシヤ ナカオコレマサ」
という文面の電報がおいてあった。
何のことだかさっぱりわからないままに中尾さんに電話をしたら、
『週刊東洋経済』誌に掲載された匿名座談会の内容を説明され、
それでやっと事情が少しわかりかけてきた。」
(邱永漢著『失敗の中にノウハウあり』まえがき)
続きは次回に掲載します。