カテゴリ:邱永漢伝1回~

邱永漢伝1  現代アジアが生んだ最高の思想家・実行家

邱永漢伝2 台湾人の父親は客家(ハッカ)の系統

邱永漢伝3 母親は日本人で福岡県久留米市東町の人

邱永漢伝4  もう一人の母親の子供として入籍

邱永漢伝5 日本による台湾統治が始まって29年目の誕生

邱永漢伝6 生まれ故郷の台南は台湾の古都

邱永漢伝7 台南・東門市場の近くの府城城隍廟の向いで育つ

邱永漢伝8 城隍廟向こうの二軒家の広い空間で伸び伸び育つ

邱永漢伝9 夫の商売を支え、毛糸店も経営した母

邱永漢伝10 子供たちの教育に燃やした母、堤八重の熱意

邱永漢伝11 子供たちにふところ深いお金の使い方を教えた実母

邱永漢伝12 食味随筆を書くきっかけを与えた育ての母

邱永漢伝13 病弱だった幼少期の命の恩人は陸軍軍医少将

邱永漢伝14 台南駐在の第二歩兵連隊との縁

邱永漢伝15 世界大恐慌の翌年、内地人が通う南門小学校に入学

邱永漢伝16 台湾の風物と無関係な“ハナ、ハト、マメ、マス”の国語読本

邱永漢伝17 2軒の映画館、宮古座と世界座で映画を楽しむ

邱永漢伝18 好きなおやつは萬川號の水餃と胡椒餅

邱永漢伝19 五年生になってから学校で頭角を現わす

邱永漢伝20 級長に選ばれるも、先生の考えで副級長に降格

邱永漢伝22 6年生の級主任が台北高校尋常科受験を勧められる

邱永漢伝23 午後3時から11時まで受験勉強に打ち込む

邱永漢伝24 難関中の難関、台北高校尋常科入試にチャレンジ

邱永漢伝25 地方都市から大都市に出向いての一大チャレンジ

邱永漢伝26 邱炳南(邱永漢)・王育徳、台北市での出会いシーン

邱永漢伝27  小休止ー台北高校尋常科入試で出題された「文部省唱歌・鎌倉」

邱永漢伝28 十三番が邱炳南(邱永漢)のラッキーナンバーになる

邱永漢伝29 本島人にとって首位を維持するのは至難のわざ

邱永漢伝30 文学に傾き、活版刷りで和紙使用の個人雑誌『月来香』発行

邱永漢伝31 学校の先生への依頼原稿を載せた個人雑誌『月来香』

邱永漢伝32 個人雑誌『月来香二』に初作品、散文詩 「四面月光」を発表

邱永漢伝33 「華麗島創刊号」、「文芸台湾」の同人として作品発表

邱永漢伝34 『華麗島』創刊号に発表した散文詩『廃港』

邱永漢伝35  「文芸台湾」第4号に発表した口頭詩「戎克」

邱永漢伝36 高校1年夏休み、内台航路で日本内地を旅行

邱永漢伝37 京都と大阪に対象的な感想を持つ

邱永漢伝38 台北高等学校文芸部機関紙『翔風』で詩作品発表

邱永漢伝39 大陸中国の人達に銃口を向ける戦争に複雑な思い

邱永漢伝40 東大受験に際し、文学部でなく経済学部を選んだ胸の内

邱永漢伝41 生みの親より大切だった育ての母との別れ

邱永漢伝42 一見無謀と見えても、いざとなったら用心深くなる性癖

邱永漢伝43 北山富久二郎教授の講義を聴き、「華僑」の存在を初めて知る

邱永漢伝44 胡文虎など南洋で活躍する有力華僑の名前を知る

邱永漢伝45 異なった意見や思想を吸収して、消化できる資質発揮

邱永漢伝第46回 一面の銀世界に強烈な印象を受ける

邱永漢伝第47回 上野公園ではじめて桜の花を見る

邱永漢伝第48回  大学一年の夏、命カラガラ台湾に帰郷

邱永漢伝第49回 戦時下の青春「明日になればまた明日の風が吹く」

邱永漢伝第122回 荘要伝、東京で台湾独立運動に着手するも客死

■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
戸田敦也近影 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

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