カテゴリ:邱永漢伝50回~

邱永漢伝第61回 憲兵隊の階段を下りると、一面桜の海

邱永漢伝第50回 本音でぶつかれる精神的指導者、北山富久二郎教授

邱永漢伝第51回 学徒出陣のあとの東大経済学部研究室で本の整理

邱永漢伝第52回 帝国主義と軍国主義に対する抵抗の総本山、東大

邱永漢伝第53回 憲兵隊を意識し、農学部脇の素人下宿に変える

邱永漢伝第54回 新しい下宿で手づくりのゼンザイを楽しむ

邱永漢伝第55回 政治意識の過剰に悩み、上海への渡航を決意

邱永漢伝第56回 3月のある寒い朝、寝込みを襲われる

邱永漢伝第57回 東大構内に張巡らされた情報網にひっかかる

邱永漢伝第58回 汪兆銘の「和平建国」でなく蒋介石の「抗戦建国」を支持

邱永漢伝第59回 中国大陸渡航は単独行動であることが認められる

邱永漢伝第60回 最初は志士気取りなるもやがて他力本願になる

邱永漢伝第61回 憲兵隊の階段を下りると、一面桜の海

邱永漢伝第61回 留置場に拘留され、一まわり大きくなった気持ち

邱永漢伝第62回 東大体験を通して生れた学歴に重きを置かない人間観

邱永漢伝第62回 越境して法学部と文学部の講義を聴講

邱永漢伝第64回 学生達をひきつけた文学部、辰野隆教授の講義

邱永漢伝第65回 試験問題に書いた答案であわや退学騒ぎ

邱永漢伝第66回 ゼミ教官北山教授によるとりなしで、事なきを得る

邱永漢伝第69回 大東亜戦争のさなか、日本の敗戦を予想

邱永漢伝第70回 アメリカ軍による東京大空襲に遭遇

邱永漢伝第71回 広島市への疎開の誘いは遠慮する

邱永漢伝第72回 岡山県浮田村(現・岡山市)に疎開

邱永漢伝第73回 田植の仕方、牛の使い方、炭の焼き方を実地で学ぶ

邱永漢伝第74回 昼は野良仕事、夜は卒業論文と読書

邱永漢伝第75回 ある朝、畑に出て西方向に稲光を感知

邱永漢伝第76回 玉音放送の予告で、周囲の人達に戦争の終結を伝える

邱永漢伝第77回 世田谷区等々力の元大東亜学生寮に移住

邱永漢伝第78回 玉音放送前の予言で疎開先の人達から怪しまれる

邱永漢伝第79回 昭和20年10月、東大経済学部大学院に進学

邱永漢伝第80回 終戦直後の台湾同胞の振る舞いに心痛める

邱永漢伝第82回 大学院生として「東大社会科学研究会」を結成

邱永漢伝第83回 東京都内バラック生活者達の生活と意識調査を企画

邱永漢伝第84回 東大新聞に「壕舎生活者の実態及び輿論調査」発表

邱永漢伝第86回 大学院を中退し、横須賀港からの帰台を決意

邱永漢伝第88回 上陸してきた国民党の軍隊に台湾人は失望

邱永漢伝第87回 昭和21年2月、6日間かかって基隆沖港に到着

邱永漢伝第90回 父親から理財の点で気が利かないとなじられる

邱永漢伝第90回 インフレへの対応につき、父親と意見不一致

邱永漢伝第91回 父親には急激な環境変化へ対応は無理と諦める

邱永漢伝第92回 台湾省財政庁に務めるも3か月で退職

邱永漢伝第93回 念願の私立大学認可されず

邱永漢伝第94回 国民党政府、日本留学組を政府ポストから締出し

邱永漢伝第95回 プラント工事請負会杜を設立するも続かず

邱永漢伝第96回 廖文毅氏主催の「省都無力者会議」に出席

邱永漢伝第97回 台湾全島を揺るがす2・28事件の勃発

邱永漢伝第98回 放送局はじめ台湾中の政府機関を台湾人が占拠

邱永漢伝第99回 二・二八事件処理委員会の様子を見に行く

邱永漢伝第123回 蒋介石ひきいる国民政府の敗北を信じる

■戸田 敦也 (とだ・あつなり)
戸田敦也近影 邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。

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