昭和29年9月23日、邱永漢一家は

九品仏の借家に佐藤春夫、檀一雄氏ら招き、

夫人の中国家庭料理でもてなしましたが

大変な評判をとり、文藝春秋社の池島信平氏は

これを”邱飯店”と名付けました。

 

「九品仏の借家に佐藤春夫、檀一雄氏らを

自宅に招き、奥様の中国料理を提供したのは

後から考えると、のちに池島信平氏が

命名した”邱飯店”の店びらきでした。

 

「先生たちはハイヤーをやとって、

関口台町から九品仏まで来られた。

先にも後にも、

このあばら家にハイヤーで乗りつけたのは、

このときの先生たちだけであったから、

近所でも評判になったが、

それよりも借家住まいの私のところには

お客用の座布団がなかった。

姉の家から借りてきたせんべいのような

薄っぺらい木綿の座布団が五枚しかなかったので、

どっちにしても足りない。

幸い、庭づたいの母屋に住む

大家さんの奥さんは親切な人だったので、

『座布団貸していただけませんか』

ときいたら、心よく貸してくれた。

 

もう一つ、

この家にはまともな台所がなかった。

母屋との間をつなぐ廊下を塞いで、

臨時の台所がつくってあり、

一段さがった土間の床におりて、

二つのガスコンロと一つの七輸と向かいあって

料理をするといったにわかづくりの台所である。

 

しかも、そのとき、女房は妊娠八ヵ月目で、

大きなおなかを抱えていた。

いま考えてみると女房にも

ずいぶん苦労をかけたものであるが、

これがのちに池島信平氏の命名した

”邱飯店”の店びらきの初日であった。」

(『邱飯店のメニュー』)