九品仏の借家に居を定めた30歳の邱永漢は

小説、「濁水渓」執筆に取組みました。

 

「その一番奥の四畳半が私の仕事部屋で、

机も椅子もすべて姉の家からの借物であった。

その中古の机の上で、私は『濁水渓』という、

一篇が百枚ずつの三部作になった小説を書いた。

 

小説の内容は、第一部が戦争中、

東大に留学していた台湾人の青年が

志願兵となることを拒否して日本国中を逃げまわる話であり、

第二部は戦後、夢を抱いて台湾へ帰ってきた青年が

二・二・八事件という反政府運動にまき込まれて、

失意のうちに台湾を脱け出す話であった。

 

さきに書いた『密入国者の手記』は、

長谷川先生の主宰する『大衆文芸』に発表されたが、

今度も同じ『大衆文芸』に発表してもらうべく、

私は編集長の島源四郎さんを訪ねた。

 

島さんは昭和のはじめにあった

『新小説』という雑誌の編集長だった人であり、

長谷川先生とは、奥さん同士が姉妹だったこともあって、

新鷹会の雑誌の編集の責任者であった。

新人の発掘に異常な情熱をもち、

私のような駈け出しの書いた原稿でも、

いちいちていねいに読んでくれたうえに、

親切な感想を述べてくれる親切な人だった。」

(『邱飯店のメニュー』)