オール読物新人賞への応募作品として

『竜福物語』を書くことで、

邱永漢において、小説を書くことへの意欲が

一気に高まり、二つの作品が書かれました。

 

ひとつが「敗戦妻」です。

これは、終戦後の台湾において、

一夜のサービスを提供することで

生計を立てるほかなくなった日本人女性と

彼女の家を訪ねた台湾人男性との

人間交流を描く短編小説です。

 

もう一つの小説は「客死」です。

台湾が日本統治下にあった時から

日本の統治に抵抗した台湾の元老に

林献堂という人がいました。

 

この林氏をモデルとし、

林氏が国民政府の政治に怒りを覚え、

東京に移住したまま帰らなかった模様を伝える作品です。

 

この小説には、林氏に擬した老人「謝万伝」が登場します。

また「蔡志民」という人物が登場します。

 

「蔡志民」は、邱永漢に台湾独立の密使役を頼んだ

荘要伝氏がモデルです。

 

荘氏は邱と共に香港に逃避行し、

香港で邱と同じところに居候しましたが

香港にいてもやることはないといって

日本に密航し、日本で原因がわらないままに死にました。

 

この荘要伝に擬した「蔡志民」の死体を前にして、

老人「謝万伝」が語ります。

「蔡君、今度生まれてくるなら、

決して植民地に生まれてくるな。

 どんな貧乏で小っぽけな国であってもいいから、

 自分たちの政府をもった国に生まれてくることだ。

 そうすれば君は政治のことなど心配しないでもいい。

 政治家にまかせておいて、放蕩三昧でもして暮らしてくれ。

 そういう姿の君が見たい」と。

 

この二つの作品は昭和31年に発行されることになった

『密入国者の手記』と昭和47年に徳間書店から

発行された邱永漢自選集Ⅰ『密入国者の手記・濁水渓』に

収録されることになります。

 

また後者の作品は平成6年に刊行された

「邱永漢短編小説傑作選・見えない国境線」

にも収録されることにもなります。