初の小説『密入国者の手記』は

掲載された雑誌『大衆文藝』(1月号)での

筆者名が表紙では「丘青台」、

本文では「邱永漢」というチグハグがありましたが、

王育徳氏とその家族の在留許可を求める

裁判の場で、活用されました。

 

そして、王育徳氏と家族の

日本での在留権が許可されることになりました。

 

「あまりにも順調に事が運んだので、

私は自分も嬉しかったが、すぐに王君に吉報を知らせた。

王君は刷り上がった雑誌を裁判の折りに参考資料として提出した。

私の文章が功を奏したせいかどうかは私にもわからないが、

最終審で王君とその家族の在留権が許可された。

王君は明治大学教授になり、文学博士の称号を得て、

最後は台湾独立運動に身を挺して

一生を終わったのはずっとのちのことである。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)

 

なお、王育徳著、近藤明理編集協力で

『「昭和」を生きた台湾青年』という

王の死後、蔵書の整理中に見つかった遺稿を

もとにまとめられた回想記が平成23年に

草思社から刊行されました。

 

この本には、小学校から高校、大学、

そして社会人まで、邱永漢のプロフィールや

交流の様子が詳しく書かれ、邱永漢研究

という面からも貴重な著作です。