結婚した頃を境として

郵便小包商売儲からなくなり、

もともと万事お金お金の香港の雰囲気が

性に合わないこともあって

邱炳南(邱永漢)は香港に住む

気がなくなっていきました。

 

「香港から東京に送る商品は、

大半が商杜を経由するようになってしまったので、

中小貿易会杜の手がけるものは

だんだん採算にのらなくなっていた。

 

ならば香港で売れる日本商品を

手がければいいだろうと思って、

日本製のフィルムを扱ったこともあるが、

換金できたのがやっとで、手数料にもならなかった。

 

やむを得ず岳父の店の二階を借りて

ヨーロッパから工具類を輸入したこともあるが、

これも商売にならなかった。

 

戦後のドサクサに闇商人をやるくらいの器用さはあったが、

どう見ても自分は一人前の商才を

持ち合わせていないと思うよりほかなかった。

 

勝手なもので、こうなると

香港は私にとって住みづらいところになってきた。

お金、お金、お金と朝から晩まで

お金のことにしか夢中にならない町で、

お金儲けもできないような人間は落伍者だった。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)