2、28事件により、かねがね
国民党関係者の腐敗行為に業(ごう)を煮やしていた
台湾人たちは一挙に怒りを爆発させ、
台北市内の放送局はじめ
台湾中の政府機関を占拠するようになりました。
「いつまで待っても埒があかないので、
しびれをきらしたデモ隊は方向を変えて
行政長官公署に向って行進を開始した。
もと台北市役所あとの行政長官公署前の広場は、
たちまち怒れる市民で足の踏み場もないようになっていた。
『陳儀出てこい』
『猪官(チークワン・ブタ役人)出てこい』
『殺人犯を銃殺にせい』
と群衆は口々に叫んだ。
もしこの時、陳儀がベランダに出て
誠意を示す演説でもぶてば、
問題は簡単におさまったかもしれない。
しかし、陳儀自身おそらく内心忸怩たるものがあっただろうし、
怒れる群衆に直面することを極端に恐れたので、
ついに姿を現わさなかった。
そればかりか、三時間たっても群衆が解散しないのを見ると、
陳儀は武装した軍隊をベランダに出して『撃て!』と命じた。
長官公署の上から機銃掃射を受けて
バタバタと倒れる人々の血まみれの姿を見ると、
群衆はにわかに殺気立った。
物見高い見物人たちの中には外省人もまじっていたが、
外省人たちはたちまち復讐の対象となった。
怒り狂った群衆は幾隊にも分かれて、
専売局を破壊し、煙草を倉庫から運び出して
道の真ん中に山と積んで火をつけた。
放送局を占領した一隊はすぐ全島に向かって
『省政自治』の要求を放送しはじめた。
どこから見ても計画的な反政府暴動とは言いがたかった。
しかし、放送局を台湾人が占領したことがわかると、
計画的にやったのではないかと思いたくなるほど短時日のうちに、
台湾中の政府機関は台湾人によって占領されてしまった。」
(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)
邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。