22歳の邱炳南(邱永漢)は

台湾に帰ってから半年ほど、経ったところで、

日本からの帰路、一緒になった人と一緒に

起業します。

プラント工事の設立を請負う会杜です。

が、仕事を一つとっただけで、

後が続かず、会社解散の憂き目に遭いました。

 

「たまたま日本から基隆に帰る船の中で

知り合った若い仲間たちと台北でよく会うようになった。

いずれも台湾へ帰ってきて似たような目にあわされていたから、

いっそこの際、企業をおこして実業家になろうじゃないか、

と一緒にお金を出し合って

プラントの工事を請負う会杜をつくった。

 

友人の知り合いのなかに、

日本時代に鳶職の下請けをしていた親方がいて、

工事の見積りや施工はすべてその人が

責任を持ってくれるということだった。

 

もう五十歳になっていたその鳶職は、

日本人の手下として働いていただけに、

誠実で男気のある人だった。

 

しかし、仕事は一つとれただけで、

老朽設備をこわして、ちゃんとした

貯蔵タンクにつくりかえる工事は完成させたが、

あとが続かなかった。

 

私は何ヵ月か、カバンを持って事務所に行き、

総経理(社長)の椅子に坐ったが、

そのうちに家賃を払うことにも難儀するようになったので、

これまた解散せざるを得なくなってしまった。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)