世田谷区等々力の元大東亜学生寮に移住しあと

邱炳南(邱永漢)は岡山の疎開先を提供してくれた

学友の松本英男氏が訪問を受けました。

 

松本氏が言うのに、

疎開先であった松本家の人達は

「玉音放送前に日本の敗戦を予言した

邱炳南さんはスパイだったのでは」

と怪しんでいるとのこと。

 

邱炳南は事実無根の推理に驚くが、

一歩先が先の見える人は

周囲の人から特異な目で見られがちです。

こういうことは邱炳南の人生において

数限りがないほど経験されたとことと思いますが、

大学生3年生の時にすでに経験しているところが

興味をひきます。

 

「ある日、そこへ松本君が訪ねてきた。

松本君は九月の卒業を前にして、

都市銀行の一つに就職がきまっていた。

『このあいだ、岡山へ帰ってきたんだけどね』

と松本君は言った。

『田舎の連中はみな、君はスパイじゃないかと言っていたぞ』

『どうしてなんだ。どこがスパイなんだ』

『だって君は日本は戦争に負けると言っていただろう。

玉音放送があった日でも、

家中の者が励ましのお言葉でしょうと言ったら、

君だけが戦争が終わるんだと

自信ありげに言っていたじゃないか。

そんなことが事前にわかる人はスパイに違いないと、

村ではもっぱらの噂だよ』

『まさか!』と私は思わず叫んだ。

『僕がスパイでないことは、六ヵ月間、

毎日、起居を共にした君が一番よく知っているはずだ。

あやしげな手紙が来たことだって一度もないし、

無線の発信機なんか持っていたことがあるか。

 

多少の情報と公平な判断力さえあれば、

世の中がどうなるかくらいのことは見当がつくものだよ』

もう戦争が終わっていたからよかったようなものだが、

もしもっと戦争が長びいていたら、

私は岡山県の田舎でも

再び憲兵隊や特高にとっつかまっていたかもしれない。

いくら証拠がないと言い張っても、

政府に不都合な情報は

流言蜚語としてきびしい処罰の対象にされて

当たり前の時代だったからである。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)