真珠湾攻撃とマレー作戦で

大東亜戦争が始まったのは

1941年(昭和16年)12月8日です。

 

翌年の1943年(昭和17年)10月

台北高等学校を繰り上げて卒業し

東大経済学部に入学した邱炳南(邱永漢)

の大学生活は戦争とともにありました。

 

厳しい情報統制のもと、国民は

国や軍部に都合のいい情報をもとに

戦況を知るほかありませんでしたが、

邱炳南(邱永漢)は1943年(昭和18年)

ごろには日本の敗戦を予想していました。

 

「すでに日本の旗色はかなり悪くなっていた。

大本営の発表は相変らず強気で、

自分らに有利な情報しか流していなかったが、

ラバウルで孤立し、インバールで挫折し、

その上、サイパン島に米軍が上陸を敢行し、

やがて日本軍の玉砕が発表された。

 

もう勝負はついたようなものであった。

私はただの一学生にすぎなかったけれども、

私の耳は地獄耳だった。

時の侍従長の息子がクラスにいて、

宮中での会議の模様を逐一私に喋ってくれていた。

 

新聞で発表されていることと

重臣たちの動きはちょうど裏腹だった。

私は大本営発表よりも、宮中の消息を信じていたので、

世の中の動きを人より早く感知することができた。

 

クラスメイトの中に、

時の侍従長の息子がいたので、

私はまた聞きであったが、

宮中で重臣たちがどんな動きをしているか、

だいたいのことがわかった。

 

その情報が正しいとすれば、

大東亜戦争は末期に近づきつつあった。

内台航路はアメリカの潜水艦によって遮断され、

家からの送金も連絡の手紙もほとんど途絶えてしまっていた。

私は台湾から東大に来ている一留学生にすぎなかったけれども、

間もなく日本は戦争に負けるだろうと予想していた。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)