安平助教授の「大東亜経済論」の試験問題で

邱炳南(邱永漢)が書いた答案が出題者の目からは

「思想が悪い朝鮮人の学生がいる」との評価になり、

助教授が学部長に相談したところ

「そんな学生は退学だ」と言われ、

安平助教授は、「えらいことになった」と困惑します。

 

その日、安平助教授は大学からの帰途、

邱炳南(邱永漢)が所属する「財政学」ゼミの

担当教授である北山富久二郎教授と一緒になり、

北山教授が問題解決の手を差し伸べてくれます。

 

「ちょうどその日、赤門からお茶の水まで下りる道中で、

助教授は北山教授と一緒になった。

道々歩きながら『実は困ったことが起こったのですが、

こんな場合はどうしたらいいでしょうか?』

と助教授は北山教授に、

思想の悪い朝鮮人の答案のことを持ち出した。

話を聞きながら、北山先生はふと思い当たるフシがあって、

『その学生は何という名前かね』と聞いた。

そうしたら、私の名前が出て来たので、

『君、そりゃ僕のよく知っている学生だ。

朝鮮人じゃなくて、台湾人だ。真面目な学生で、

そんなに思想の悪い学生じゃない。それにしても、

どうして橋爪君に打ち明けたりしたんだ?』

『そんなつもりじゃなかったんです。

こういう場合はどうするのが適当かという意味で、

ちょっと相談してみただけなんです。

そうしたら、橋爪先生がいきなり退学処分にすると

言って怒り出したものですから、

実は僕も困っているところなんです』

 

『そりゃ君、君のほうが悪いよ。

学生が試験答案に本当に自分が思っていることを書くのは、

教師を信頼しているからだよ。

たとえ時世に合わないような危険思想でも、

庇ってやるのが教師というものなんだよ』

『確かにそうですね。どうしたらよろしいでしょうか?』

『これは僕の学生だから、

僕が学部長に代わって本人を叱ることにする。

君からも橋爪君にわけを話して了解をとっておいて下さい』

『すみません。よろしくお願いします』

と安平助教授は頭を下げて頼んだそうである。」

(『わが青春の台湾 わが青春の香港』)