東大経済学部の3年になってからのことですが、
邱炳南(邱永漢)にまた事件が起こります。
2年生の時に受けた講義についての試験で
書いた答案が担当教官から見て
「思想の悪い朝鮮人の学生がいる」
と問題視されたのです。
「たまたま二年生になってから
『大東亜経済論』という講義を受けた。
安平という助教授が担当で、
講義にはほとんど出席しなかったが、
試験の時に『満州国の統制経済について述べよ』という問題が出た。
たまたま私は、軍部から追放されて退職していた
矢内原忠雄先生の『帝国主義下の台湾』と『満州経済論』を読んでいた。
そこで、『満州国の経済は日本の海外発展主義と
現地の合弁資本の合作によってつくられたもので、
その土地の住民の利益と必ずしも合致するものではない』
といった主旨のことを書いた。
私としては日本帝国主義と書きたい衝動に駆られたのを、
待て待てと自制して、やっと『日本の海外発展主義』
といった曖昧な表現にやわらげたつもりだったが、
結果はどちらも同じことになった。
曖昧な表現を使ったつもりでも、
私が矢内原教授の影響を受けていることは一目瞭然だった。
今時こんな答案を寄せる不逞な学生はまず見当らなかったから、
安平助教授は自分の恩師で経済学部長をつとめていた橋爪教授に
『こんな答案を書いた朝鮮人名前の学生がありますが、
どうしたものでしょうか』と伺いを立てた。
橋爪教授は大東亜戦争下の経済学部長が
つとまるくらいだからカチカチの右翼で、
その場で形相を変えて、『本人を呼んで来い。
心を入れかえないなら、場合によっては退学処分にする』といきまいた。
これには伺いを立てた助教授のほうが頭を抱え込んでしまった。」
邱永漢思想研究家。経営コンサルタント。問題解決・意思決定の研修講師。昭和18年3月生まれ。昭和40年、東京大学経済学部卒業。同年、八幡製鉄(現新日鉄)入社。平成6年、新日鉄部長を経て、研修業に転じ、現職。以来、邱永漢作品のエッセンス本『原則がわかれば生き残れる』、『アジアの曙』、『生きざまの探求』、『新・メシの食える経済学』(以上、グラフ社)を編集、解説。平成13年『あなたも賢者になれるー私は邱永漢さんの知恵を借りた』(グラフ社)を刊行。邱永漢思想の探求をライフワークとし、その一環として、各地でセミナーを開催。「株式投資の原則」などの通信セミナーも実施。